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自分がかわいそうという心(2)



4.経験には意味がある

 第三番目に、経験の再統合の段階に入ります。自分の苦しみを語っていくと、「なぜそういう経験をしたのか」、その意味を問いかけるようになります。これが非常に大切です。大きな、あるいは深刻な経験には、必ず意味があります。「何か大切なことを学ぶ為にそういう経験をしたのだ」と、そう考えるのです。そうすると、人や神や人生を恨むことがなくなり、経験をギフトと考えるようになります。人生の贈り物として、その経験を受け入れるのです。

こうしてその「経験の意味」を学び終えたときは、自分の人生を受け入れることができます。自己受容ができるのです。自分を愛せるようになるのです。これが再統合と言われる段階です。苦しい経験を自分の人生の中にきちんと位置付け、心の成長にとっては必要なものだったと認められる段階です。

 これには智慧の働きが必要です。その智慧は洞察力とも呼ばれます。それはその人の深層潜在意識やさらにその奥の超越潜在意識からもたらされます。インスピレーションとか気づきと言われるものです。よきカウンセラーはそうした導きを受けやすい心の状態へと誘導してくれるものです。

5.より愛深くなるために

 ある方が言われました。「私は世間的に見れば愛されないで育ちました。でも親が反面教師となってさまざまなことを教えてくださっていたことに、ある時気付けたのです。私は、拒絶され言葉の暴力を受け続けて、時には肉体の暴力も受けてそだちました。でもそれでも私は愛されて人生を生きてこれたことに気が付けました。自分は愛を与えられていることに気付くこと、それが私の経験の意味だと思います。」

 この方は、常に悩み続けて成長されました。どうして自分はこういう目に遭うのかを考え抜かないと、生きていくことができなかったといいます。その結果、一種の宗教的な洞察を持たれたようです。この方は言われました。

すべては心が成長していくためにある経験だと思います。そしてその中でどれだけ愛を発揮できるか、愛深くなれるかを学ばされているのだと思います。どんな経験をしても、そこからより愛深くなることが、人生の目的だと思うのです。

 私はこの方のお話に感銘を受けました。一人でそこまでたどり着かれたことに、感動と敬意を覚えました。そして「あなたがたどり着いたのと同じ人生観を世界的に有名なキュブラー・ロスという精神科医が書いています。この方の著作を読まれたらきっと、励まされると思いますよ」と申し上げました。

 愛されない苦しみ、かわいそうな自分という苦しみを克服するのは、結局、自分の心の成長に取り組み、自己受容することです。そして、そういう経験を経ることで、どれほど愛深き人間になれるかという人生からの問いかけへの答えを見出すことだと思います。そういう苦しみを知らない人にはわからないような深い優しさや強さを与えたくて、人生はそういう経験をさせてくれたと思えたときに、あなたは癒されています。そう気が付けたときが、その経験から卒業する時だと思います。(種)


<連絡先>
種村トランスパーソナル研究所
所長兼心理カウンセラー 種村修
電話090-8051-8198
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com


 

 

 

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